薪ログ2

薪?なにそれ美味しいの?

カンマワシ_2013_02

カンマワシ_2013_02

2ヶ月ぶりの掻き回し(カンマワシ:注 方言)です。
雨が少なかったせいか、雑草も迫力不足でして、とりあえずなんとかなっていました。

しかし、本格的に梅雨に入ったとたん、雑草君達もやる気を出してきました。

最初のうちは、立ち鎌で、目立ったところをちゃいちゃいやるだけで凌いでいましたが、さすがに全面戦争の様相を呈してきましたので、カンマワスことにしました。

梅雨なので、今日も、途中から雨になりましたが、たいした雨じゃないので、最後までやってしまいました。

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あ~~、すっきり

カンマワシを出来ない畑と畑の境界線の道も、刈払機を出動させないと・・・

ともかく、畑は、これで、なんとかしばらく保って欲しいところです。






そう言えば、とある方のブログで、スギナにストーブの灰が効くという話を読みました。

スギナで困っていたので、大変ありがたい情報なのですが、
 「スギナが酸性を好む」も
 「灰は、アルカリ性」も
知っていました。
知っているどころか、スギナが生えているので、畑の土は酸性だから、灰で、中和しようと、実際、撒いていました。
なのに、スギナが生えて困るから、灰を撒こう!!!ということに思い至らなかったのです

何というか、知っていると言うことと、その知識を使えるということの間には、暗くて深い闇があるようです。

私には、その闇を飛び越える能力(結びつけ能力)が足りなかったようです。


これから、話は、2つに分かれます。
一つめは、コンピューターに、この結びつけは出来るのだろうか?
二つめは、知識を、実際に使うたプロセスはどうなっているのだろうか?

一つめは、プログラミング的に、スギナの属性と、灰の属性を、ある意図を持って検索するというのは、難しそうだなぁということで、終わりました(「ある意図」が、ある意味、創造なので)


二つめは、知識を具体化していくという過程を考える上で、友人の言葉を思い出し、ちょっと広がりました。


ある友人が、「抽象度を変化できて、理解と言える」と言っていました。
あることを本当に理解できているならば、より抽象的にまとめたり、具体的にしてみたり出来るはずだということです。

話の中で、よく、具体例を出す人がいますが、出すだけ出して、具体例の中で溺れて、帰って来られなかったりします。
「で、何が言いたいの?」と聞いても、ただケンカを売られたとしか思わない人です。
この場合は、意図的に抽象度を変化させているわけではないですから、単なる連想であって、理解に基づく抽象度の変化ではないようです。
つまり、自分の話している内容から思いついた、特に意味のないことをただしゃべっているだけなんでしょう。
言いたいことがあるわけないのに、質問してくるのは、ケンカを売っているのと同じということですね。


具体例を挙げるということは、言いたいことと、具体的な経験や想定を結びつけることなので、結びつけの意識なしには成立しないわけです。
だから、その意識が欠けている場合は、いくら本人が具体例だと思っていても、単なる連想でしかないと言うことなんでしょう。



と言うことで、知識の具体化には、知識の理解が前提になるなぁと。
ただ、「スギナに灰」に至るための、それこそ具体的な「理解」がなんなのか?どうゆう状態なのか?ある意味、後出しじゃんけんなので、もう既に存在する「スギナに灰」ではなく、こういった存在しなかったものを存在させるための前提となる「理解」とは、何なのだろう?と言うところで(またもや創造絡みなので)、二つめの話は終わりました。



「スギナに灰」で、こんなことを考えながら、雨の中、屋根のないトラクターに乗っていたのですが、我ながら、ブログネタ探しに一生懸命になりすぎだなぁと反省しました(が、当然、それ込みで、ネタに)。

TO DO
1. 種まき 
2. 草むしり 
3. 年間
栽培計画(区画割りを含む)立案 
4. 井戸掘り(夢)
5. 堆肥のカンマワシ 23071