コロ薪割り_カシ&玉切り_カシ
今日は、昨日出たコロ玉をコロ薪割りをしました。
カシばっかり、ネコ3杯分になりました。
薄くスライスしたのですが、中がぐっちゃぐちゃのコロ玉は、なかなか割れてくれず、思ったより、手間が掛かりました。
その後、チェーンソーを研いで、玉切りに移行しました。
今日は、意識して、左右を均一にしたので、昨日よりは、ストレスが減りましたが、まだ、左手の研ぎが弱いようです。
と言うわけで、少なくとも、昨日よりはストレスが無くなったので、薪会のカシの残り全部や、放置してあった色々な原木を玉切りしてみました。
ネコ7杯分ほどになりました。
30cmカシ(積み増し)
手前が45cmカシ(積み増し)
奥がいろいろ
やはり、ストレスが減ると、疲れが減り、どんどん切りたくなりますね
とは言っても、1タンクも切ってないんですがね。
もちろん、それが事実なのかどうかは知りませんが、ただ、とても、説得的でした。
なぜ、職業として、危ないのか?
簡単に言えば、給料が少なくても平気な人達が雪崩れ込んできたからだそうです。
それがどういう人達なのかは、色々語弊があるので、書きませんが、極端な話、給料が0でも、自己実現が出来ればいいんだそうです。
こういった人達が増えると、人件費が抑えられ、授業料も低く設定できますから、生徒も増えます。
生徒も経営者も大喜びです。
しかも、こういった人達に、能力がないと言うことはなく、十分な知識や教養があったりします。
ただ、この世界で、家族を養っていこうと考えている人にとってだけ、困ったことなのです。
これと、正反対の話があります(これも、うろ覚えですが)。
あるお茶の先生から聞いた話ですが、数寄者という言葉があるそうです。
これは、風流を好む人から、趣味でお茶に携わっている人のことを言うようになったそうです。
普通に考えると、プロが上で、、アマが下ですから、蔑みになりそうですが、実際は、いい道具を集められる財もセンスもある人という感じで、微妙に、いい意味ですね(敬意を払ってもらえる)。
ところが、この数寄者が作った茶碗とプロが作った茶碗なら、プロの茶碗を重んじるんですね(もちろん、スーパーな数寄者は存在しますが)。
(重んじるというのは、例えば、価格だったり、よりいい場で使うことだったりとか)
プロだって、駆け出しもいるわけですが、プロと言うだけで、大切にされる文化があるようです。
(そう言う人達に支えてもらっているという意識でしょうかね)
プロなんだから、アマよりも、無条件で、上であるべきだという人がいるでしょうね。
それも、正しいのでしょうね。
しかし、プロはプロであるが故に抱えているモノがあり、何もない、何も知らないアマが好き勝手にやって、勝った気になっていても、どうせ、続かないんでしょうね。
日本語学校の話だと、人件費0のアドバンテージに乗っかって、やりたい放題の人に限って、引っかき回した挙げ句、辞めちゃうらしいですけどね(まぁ、でも、すぐ補充できる)。
あっ、これは、某薪変態と話をしていて、この人は、考え方がプロっぽいなぁと思ったのがきっかけで、プロとアマに関して、自戒を込めまして、考えたことです。
誤解無きよう。