今日は、除草剤散布。
前回の散布は、2014/03/25です。
その間、刈払機で、刈払っているのですが、やはり、除草剤とは違って、「モチ」が良くないですね。
梅雨が明けたので、やっと除草剤の出番です。
いつも思うのですが、除草剤は、私にとって、ある種、象徴なんですよね。
都会育ちの方なら、もしかすると、理解してもらえるかもしれませんが、除草剤の使用には、罪悪感があるんですよね。
農薬=悪と言うのも、似たようなものです(例えば、農薬は人に有害だから悪であるなら、無害な農薬は悪じゃない!という主張がOKなら、似ていません。農薬=悪なら、似たようなものです)。
雑草を手で引っこ抜くと、そうでもないんですが、除草剤を撒いて、一面、枯れ野原になると、罪悪感があります(駐車場の端っこに撒くのと、同じようで同じでないです)。
もちろん、昆虫を大量に駆除したり、小動物を駆除したりすれば(手段によらず)、罪悪感があります。
なんというか、無選別に、あらゆる生命は平等で、生命を奪うことは悪と言う感じです。
だから、都会育ちの人の方が命を大切にすると言う訳ではないです。
無選別の平等は、簡単に、ひっくり返ります。
(虫と人が同じなのだから、虫を殺せるように人を殺せる、とか・・・)
(単純に、関わる命の数量の問題だと思いますが…)
私も、田舎暮らしは、自然と親しむ生活だとか、幻想を抱いていましたが、ちょっと暮らしだけで、そうではないことはわかります。
日々、昔の幻想と摩擦を起こしています。
もちろん、幻想と心中する、雑草に埋没する生活もありだと思います。
(あまりに無自覚だと、ちょっと恥ずかしいですが)
と言う訳で、結論、
「除草剤(とそれが象徴する世界)、あなたは、平気ですか?」(結論?(笑))
それはともかく、裏の畑の農道もすぐにやる必要がありそうです(雑草だらけです)。
明日以降、一部除草剤、一部刈払機で、さっさとやってしまいたいと思います。